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白沢宿今昔(59) ふるさとの信仰(1)

講礼納め所

 信仰とは神や仏などを、信じ尊ぶことです。ふるさとの石仏などには、どんなものが見られるでしょう。

 

稲荷さま 屋敷神、豊作の神として、現在でもワラホウデンが見られる。

地蔵さま 衆生の苦難を救うとされる。

馬頭観音 農家の労働の中心となる馬の供養碑。

出羽三山信仰 山形県の羽黒山、月山、湯殿山をまつる。

天神さま 学問の神、菅原道真を信仰する。

天王さま 天狗の面をつけ、各戸をまわる。厄除け、病除け。

二十三夜さま 月待ち信仰。

二十六夜さま 月待ち信仰。

お釈迦さま 4月8日釈迦誕生仏に甘茶をかける、花まつり。

オカマサマ かまどの神、田植終了後、稲の苗を供える。

山倉講 病除け。

古峯ヶ原講 五穀豊穣(ごこくほうじょう)、あらし除け。

三峯講 火災、盗難予防。

那須八溝三霊場参り

 湯津上村の光丸山、子ども虫封じの笠石さま、南那

 須月次のあらし除け水神さまの鳴井さま参り。

お伊勢参り 江戸時代末期より。

 

昭和61年(1986)11月20日 第202号掲載

白沢宿今昔(60) ふるさとの信仰(2)

信者の家をまわる山倉さま

 白沢宿では、いつの頃かははっきりしないが山倉さまと呼ぶ高皇産霊神(たかみむすびのかみ)を祀(まつ)る、厄病・災難よけの神を今に至るまで信仰している。

 

 白沢宿には上流から宿内に流れくる清水があります。食器や野菜の洗い水、洗面、風呂水、馬の飲料水まですべてに利用されたもので、一旦上流に悪疫が発生すると立ち所に蔓延(まんえん)したため、これを恐れ山倉講をつくり信仰するようになったものといわれています。

 

 山倉神の本社は、千葉県香取郡山田町にありこの御分霊を茨城県下館市の鈴木家の先祖が天文年間(1532〜54)氏神とし山倉大神と尊称、祀(まつ)ったもので御神符(ごしんぷ)の「生鮭蒸焼粉末」は幼児のかん虫封じ、内臓疾患(しっかん)による微熱さましの特効があるといわれています。

 

 白沢宿には明治20年(1887)代から今日に至る講の記録が引きつがれ保存されてあります。また現在、河内町内で山倉さまを信仰している所は白沢のほか東下ケ橋(さげはし)・古田・宝井下・和久(わぐ)・台岡本など合せて約200戸ほどあります。

 

昭和61年(1986)12月20日 第203号掲載

白沢宿今昔(61) ふるさとの信仰(3)

猿田彦命 白沢南須賀神社蔵

 白沢宿では昔から、毎年7月14・15日に渡り天王祭が行われ、宿の中央に祭神の御興(みこし)と共に猿田彦命の衣装が飾られます。

 

 猿田彦命は、日本神話の天孫降臨(てんそんこうりん)のさい、先導役をつとめたといわれ、また庚申(こうしん)信仰と結びついて広く知られています。

 

 太平洋戦争前まで、お祭りには猿田彦命の衣装をつけて各戸を回り、悪疫の侵入を防ぐおはらいをしました。

 

 宿場には昔、キュウリを作ったり、食べたりしてはいけないなどの迷信があったそうです。これは昔、疫病が流行した時、天王さまにキュウリを作らないから病気にかからないように、またかかっても軽くすむようにと申し上げたからで、これはキュウリの切口が天王さまの絞所(もんどころ)に似ているからと言われます。しかし、よその家で作ったものは食べてよいとか、まったくの迷信でした。

 

 宿場は狭い間口で、家が並んでおり、さらに宿内を上流より流れる清水を、生活用水として使用していたため、たちの悪いはやり病が発生すると、たちどころに広まり、これを神だのみにより防止したようすが、よくうかがわれます。

 

昭和62年(1987)1月20日 第204号掲載

白沢宿今昔(62) ふるさとの信仰(4)

十二支の子・午・酉

 白沢宿には昔から「不熟」とよぶ日がありました。この日に農家で種を蒔(ま)いたり、苗を植えたりしてもその作物は実らないということです。

 

 不熟の日は、カレンダーの十二支できめられ、いずれも旧暦です。

 

子の日は、1・4・7・10月

午の日は、2・5・8・11月

酉の日は、3・6・9・12月

 

となっていました。したがって月に2〜3回ありました。

 

 どんなに忙しくても、この日には種蒔や植付けはできません。その日を忘れ作業をすると、となり近所の人におさえられることもありました。知らずに作業がすんだ場合は早速(さっそく)、自宅の仏前にダンゴを作り供え、線香をあげることによって、不作のことは、まぬがれると言う、今の人には信じられないことでした。

 

 しかし、この日にかぎってお寺の田畑に、種蒔や植付けをしても不作にならないと言うので、檀家の人は不熟の日に喜んでお寺の農作業を手伝いました。

 

 太平洋戦争後、寺も農地開放となり、この迷信は全くなくなり、現在では不熟の日を知る人も少なくなりました。

 

昭和62年(1987)2月20日 第205号掲載

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