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れきし写真館

大正~昭和の時代にモノクロームで撮影された1枚の写真。

時には、その時代の河内地区の様子や、人々の暮らしを言葉や文章よりも雄弁に物語ってくれます。

あの懐かしいまちかどや知っている人、そして、あなた自身の思い出を探してみてください。

年代

主なできごと 

縄文時代

町内各遺跡から、この時代の出土品が発見される

古墳時代

大塚新田古墳、大塚古墳、高山古墳などこの時代の有力者の墓と見られる古墳群が見つかっている 

平安時代

 1063年

(寛治7年)

田原郷に密興寺建立(異説あり)

◆まむしの温情(昔話)

 1180年

(治承4年)

源義経、下ケ橋を通過

義経記に「下ケ橋の宿に着いて馬を休めて」の記述がある

室町時代

 1438年

(永享10年)

西方寺が建立される

江戸時代

 1604年

(慶長9年)

奥州街道改修

 1609年

(慶長14年)

白沢宿が置かれる

◆三本杉とキツネ(昔話)

 1620年

(元和6年)

西鬼怒川が開かれる

 1622年

(元和8年)

御用川(堀)が開かれる

 1725年

(享保10年)

五十里洪水。村人が三又かやにより多数救出される

◆丸池のうなぎ(昔話)

 1778年

(安永7年)

白沢宿明星院、焼失につき再建

 1808年

(文化5年)

河内区域の下岡本村、白沢宿、下田原村、古田村の人口約1,500人と記録あり

明治時代

 1872年

(明治5年)

白沢郵便局が開設

 1873年

(明治6年)

精糧舎(現岡本小)、修身館(現白沢小)、正心舎(現田原小)が創立される

 1889年

(明治22年)

古里村と田原村が誕生

 1891年

(明治24年)

東北本線古田駅開業

 1895年

(明治28年)

東北本線鬼怒川鉄橋(岡本)が完成

 1897年

(明治30年)

東北本線路線変更。古田駅廃止、岡本駅開業

 1920年

(大正9年)

 

鬼怒川西側堤工事

1920(大正9)年撮影
鬼怒川の度重なる氾濫による水害から村を守ろうと、周辺地域の人たちで堤がつくられました。
阿久津大橋の北側のあたりで、北方の森は上河内地区との境。
当時は建設機械もなく、人海戦術による大工事でした。

 1925年

(大正14年)

鬼怒川鉄橋が完成


天棚
1925(大正14)年
古田公民館前での天祭。
天棚を囲み記念撮影。
天祭は、太陽信仰に根ざす農耕の祭り。

 1935年

(昭和10年)

JR岡本駅付近を走る蒸気機関車

昭和10年代
JR岡本駅は、明治30年の開業。
昭和33年に宇都宮~宝積寺間が電化されるまでは、このようなSLの勇姿が見られました。

桜づつみ

1935(昭和10)年頃
土手に座り込んでお弁当を広げ、楽しいひととき。
背広を着ているので職場の同僚同士かもしれません。

 1940年

(昭和15年)

桜づつみ
1940(昭和15)年
遠足で花見にやって来た子供たち。
太平洋戦争が始まる前年ですが、まだ、モンペ姿の子供は見あたりません。

 1955年

(昭和30年)

古里村、田原村が合併して「河内村」になる

河内村体育協会結成

第1回村民体育祭開催

昭和30年代の村議会
昭和30年、古里村と田原村が合併して河内村(現在の河内地区)が誕生。
当時の人口は13,586人でした。
議長席の前にある小さな丸テーブルが発言席。
当時庁舎は白沢町の白髭神社の前にありました。

白沢宿
昭和30年代撮影
江戸時代、奥州街道第一の宿場町として栄えました。
道の両側に造られた掘割は、当時の面影を残すもの。
良く見てみるとオート三輪や、木の電信柱、わらぶき屋根など、今とちょっと違う景観に気付きます。

 1956年

(昭和31年)

水車小屋
1956(昭和31)年
国道4号沿いの中岡本町地内で、精米のために使用されていました。
写真撮影されたすぐ後、道路拡幅のためなくなっています。

 1957年

(昭和32年)

荒代(あらしろ)風景
1957(昭和32)年
田んぼに水を張り、馬を使って田植えの準備。
この頃まで、農家のほとんどが馬や牛を家の中で飼い、人力の代わりとして大切に思い寝起きを共にしていました。

 1962年

(昭和37年)

岡本工業団地に工場誘致始める

体育指導員制度が発足

河内工業団地
昭和30年代
工場誘致条例により誘致。
地域の発展を期待して…。

 1964年

(昭和39年)

「広報かわち」創刊

オリンピック聖火が地区内を通過
1964(昭和39)年撮影
国道4号線を走る東京オリンピックの聖火リレー。
ランナーは、東岡本自治会の小山勝雄さん。
沿道では、婦人会をはじめたくさんの人が日の丸の小旗を持って声援していました。

 1966年

(昭和41年)

町制施行により「河内町」となる

町章

NHKのど自慢
1966(昭和41)年撮影
町制を施行した年、古里中学校の体育館で行われたのど自慢大会。
ピアノ、アコーディオン、ドラムなど演奏陣も今よりシンプル。
この様子は、テレビで全国中継されました。

 1967年

(昭和42年)

役場庁舎が完成

旧河内町役場
1967(昭和42)年撮影
2階建ての本館のみで、別館はまだありません。
未舗装の道路があったり、周囲に畑が多いなど、こうして空から見てみると現在との違いがよくわかります。

 

 1969年

(昭和44年)

スポーツ少年団が発足

全町域が都市計画区域となる

旧岡本駅舎
1969(昭和44)年撮影
木造で懐かしい雰囲気の旧駅舎。
この建物の改札を通り、会社や学校へ通った想い出のある方も多いのでは。
47年、駅舎が新築され、53年には駅前公園広場も設けられ現在の姿に。

鬼怒川鉄橋
1969(昭和44)年撮影
鉄橋を渡り北へ向かう東北本線の電車。
手前側は古い鉄橋で、橋脚の部分が煉瓦造り。
新旧の対比ができる貴重な写真です。

 

白沢浄水場完成、通水を開始

 1970年

(昭和45年)

スポーツ少年団

1970(昭和45)年撮影

結団式で各スポーツ少年団に団旗を授与。
この翌年、町(現在の河内地区)は「スポーツの町」を宣言。
スポーツを通して住民のふれあいに力を入れていきます。

 1971年

(昭和46年)

日本初となる「スポーツの町宣言」

  わたしたちは、いま、めまぐるしく伸展する技術革新の時代に生きている。そのために、日常生活における精神的緊張も高まり、心のいらだちさえ感ずる。

 

 この精神的緊張を緩和し、心の和らぎをとりもどし、明日への限りない力を生む最良のものは、スポーツであると考える。老いも若きも、町民こぞって、それぞれの年齢、体力に応じ、スポーツを楽しむことによって弾力性のある健康体と自己の活力を保持することができよう。

 

 また、わたしたちは、スポーツが喜びの感情の中に自ずと友愛を基調として、協働の精神、笑いとユーモア、その他さまざまの美しい心を培うことを知っている。

 

 わたしたちは、一人ひとりが真にスポーツを愛好し、そして健康で明るい豊かな町を建設するため、次のことを重点施策として、ここに、河内町がスポーツの町であることを宣言する。

 

1.スポーツ施設設備の整備充実を期する

1.スポーツ組織の強化及びスポーツ団体、グループの育成をはかる

1.スポーツ人口の拡大及び指導者の養成につとめる

 

昭和46年11月3日

 

河  内  町

 1974年

(昭和49年)

阿久津大橋完成

 1975年

(昭和50年)

岡本西小学校開校

教育施設の地鎮祭風景
昭和40年代

昭和40年代から町(現在の河内地区)の人口は、県内トップレベルの上昇率で急増。
将来を担う子どもたちのために、教育施設の整備に取りかかります。
今日の充実した教育施設は、こうして鍬を入れスタートしました。

 1978年

(昭和53年)

中央公民館が完成
町の花「サギソウ」、町の木「つげ」、河内町音頭を制定

町の花●さぎ草 町の木●つげ

 1979年

(昭和54年)

河内清掃工場完成

 1981年

(昭和56年)

総合体育館が完成(現 宇都宮市河内体育館)

 1983年

(昭和58年)

河内町の人口が3万人を突破

岡本北小学校開校

 1985年

(昭和60年)

町民憲章を制定

河内町は、水と緑に恵まれた、歴史と伝統に輝く町です。

わたくしたちは、河内町民であることに誇りをもち、明るく住みよい郷土を築くため、この憲章を定めます。

1.スポーツに親しみ、健康で明るい町をつくります。

1.心の触れ合いを大切にし、住みよい町をつくります。

1.教養を深め、文化のかおり高い町をつくります。

 1986年

(昭和61年)

宇都宮中央消防署河内分署が完成

河内中学校開校

町立図書館開館

 1988年

(昭和63年)

農業構造改善センター完成

 1989年

(平成元年)

公共下水道事業が着工

 1991年

(平成3年)

シンボルマーク、シンボルカラーを制定

 1993年

(平成5年)

総合福祉センター完成

 1995年

(平成7年)

田原西小学校開校

岡本コミュニティプラザ開館
第10回国民文化祭「とちぎ夢の大舞踊会」を開催

 1996年

(平成8年)

「河内サミット」交流開始

 1998年

(平成10年)

桜づつみ完成

 1999年

(平成11年)

田原コミュニティプラザ開館
窓口事務を取り扱う田原事務所と田原児童館、図書室、大ホール、調理室などの貸室の機能を持つ複合施設。

 2001年

(平成13年)

ドリームプールかわち開館

 2002年

(平成14年)

なかよし保育園開園

 2004年

(平成16年)

1市3町(宇都宮市、上三川町、上河内町、河内町)の合併法定協議会設置

グラウンドワーク活動センターが完成

河内総合運動公園陸上競技場が完成(現 河内総合運動公園)

 2005年

(平成17年)

合併法定協議会が廃止

合併のための住民投票を実施

農村体験交流館がオープン

 2006年

(平成18年)

1市2町(宇都宮市、上河内町、河内町)の合併法定協議会設置

合併協定書調印、議案を議決

 2007年

(平成19年)

宇都宮市へ編入合併、50万都市「新宇都宮市」誕生

河内町役場が河内地域自治センターとなる

中央公民館が河内生涯学習センターとなる

 

「情報紙かわち」第1号発行


河内地区連合自治会設立

 2008年

(平成20年)

河内地区防災会設立

河内地区防犯協議会設立

第1回「河内さぎ草の夕べ」開催

 2009年

(平成21年)

河内地区まちづくり協議会設立

 2014年

(平成26年)

地域内交通「さぎそう河内号」運行開始

 2016年

(平成28年)

河内地域自治センター・新河内生涯学習センター完成

 

JR岡本駅 橋上駅舎と東西通路が営業開始

 2017年

(平成29年)

河内地域自治センターが河内地区市民センターとなる

 2020年

(令和2年)

クリーンセンター下田原完成(旧河内清掃工場)

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