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ふるさと探訪(2) まぼろしの上岡本

上岡本の面影を残す「えの木」

 「河内町には中岡本や下岡本という大字があるが、上岡本がないのは不思議ですね」とよく聞かれる話ですが、古文書や石碑からその名「上岡本」のようすを知ることができます。

 

 江戸時代の初め頃、上岡本の人たちは、現在の和久(わぐ)から白沢南にいたる清水の湧く低地に点々と住んで、毎年夏季になると鬼怒川の洪水に悩まされ、そのときは近くの台地に避難していたということです。当時の上岡本地域は、現在の白沢南の旧宿場付近から稚ヶ坂(ちがさか)第一の区域であったようです。

 

 江戸時代となり奥州街道に白沢宿が開かれると、当時の白沢(現在の白沢甲部宿部分)のみで伝馬の負担に応じきれないので、街道筋を町割し、上岡本を合わせ白沢宿とすることが認められたということです。

 

 江戸時代の上岡本村庄屋問屋は、わかる範囲でも、五味田河内その子三郎左衛門・若目田新七・三郎右衛門・福田源右衛門に移るなど消長を繰り返したようです。

 

 明治の初期に、上岡本村は白沢と統合し、白沢乙部となりその名はなくなりましたが、奥州街道の目安として植えられた榎と公衆便所だけが残っています。

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