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山田川シリーズ(22) ギヤマンの皿(1)

宇都宮城主から贈られたギヤマンの皿

 田原地区には斎藤と呼ぶ苗字の方がたくさんいます。電話帳にのっているだけでも百名を数えます。

 

 さて、下田原に斎藤武男さんと呼ぶ方がおり、明治43年(1910)の生まれだそうですが、大変元気で彫刻や刀剣に興味をもっているので、町の内外より当家を訪れる人が毎日のようにおります。先祖は江戸時代、田原郷村取締役、庄屋でした。当家に、江戸時代宇都宮城主より贈られたという、ギヤマンの皿が所蔵されてありますので、見せていただくことにしました。木箱の箱書には

 

「下野国 宇都宮城主より 弥門九平進上 明和乙酉二年 正月吉日」

 

とあります。

 

 明和2年(1765)の銘があります。皿の大きさは直径60cmの模様のつけてある平たい皿ですが、江戸時代になぜこのような珍重な品が贈られたものでしょうか。

 

 ギヤマンとは

 

 オランダ語で、ダイヤモンド(金剛石)といいます。ガラスを切るのに、ダイヤモンドを用いたことから、切って細工したものをギヤマン細工と呼び、さらにガラスそのものをいうようになりました。ガラスの旧称で江戸時代には珍重(ちんちょう)なものとされていました。

(つづく)

 

 

昭和56年(1981)5月20日 第136号掲載

山田川シリーズ(23) ギヤマンの皿(2)

山田川の魚の宝庫といわれた通称クボス

 下田原、斎藤武男さんの先祖に、江戸時代の宇都宮城主からなぜギヤマンの皿が贈られたのでしょうか。伝えられた話によると、城主の奥方が出産しましたが、乳母が乳不足にて、夜泣きをして大変こまっておりました。田原村庄屋弥門九平はこの話を聞くと、乳不足には鯉料理が最もよいことをかねがね知っていましたので、秋も深まったころ山田川の通称クボスにて長さ60cmに余る大鯉2匹を捕え、早速(さっそく)城主に献上したところ、乳の出もすばらしくよくなり、赤ん坊がすくすくと育つようになりました。お殿様はことのほか喜ばれ、弥門九平にギヤマンの皿を贈られたものだそうです。

 

 

 

 山田川のクボスと呼ばれるところは、下田原にあり流れも比較的ゆるやかでカーブしており、太平洋戦争前までは魚の豊庫といわれ、すこしビッテをかけただけでもドジョウやスナサビの一合、二合はたちどころにかかったとは地元の方たちの思い出話しです。

 

 このたびの山田川沿岸改修工事により、これらの場所も消失するわけです。冬は鯉コクのうまい季節とされ、味噌仕立てとろ火で、よく煮こむと骨までやわらかです。

 

 

昭和56年(1981)6月20日 第137号掲載

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