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岡本あれこれ(16) 三王寺起立の事

不動堂(中岡本)

 岡本の修験者(しゅげんじゃ)が、どんな仕事をしていたかについて述べることにします。寛政九年(一七九七)八月頃は、寺号を三王寺と称し、久山という修験者がおりました。久山は九代目で、院号や山号免許状を、聖護院並若王寺より頂戴し所持していると、寺社役所へ届書を出しています。同届書によれば

 

「星宮大明神社別当、三王寺支配中岡本村下組同勘右エ門組村鎮守(日吉神社)別当職・下岡本村久左エ門組惣鎮守(日枝神社)別当職」を務めていると届けている。更に「正一位山王大権現社」は村支配である。

 

「右御神官元文二巳年戸田越前守様御代、寺社奉行相良甚五左エ門様江、御願上御添翰被下置、別当三王寺峯常上京仕、吉田殿御面許状幣頂戴、則御内二相納居申候」と書かれ、そのほか岡本村内にあった観音堂、稲荷大明神祠、高尾神祠、蔵王権現祠、高尾山祠、八万宮祠、大日権現祠、富士浅間祠の祭祀も別当と併記されている。当時は神仏混淆の時代であったから、修験者は神官も兼ねることが明治の神仏分離まで続いた。

 

 元文2巳年は(1737)です。

 

平成元年(1989)12月20日 第239号掲載

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