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山田川シリーズ(24) 伊勢路にねむる久太郎さん(1)

久太郎さん参宮記念の祠

 山田川のほとり、下田原に門前と呼ぶ地区がありますが、そこに江戸時代の末期、久太郎さんと呼ぶ50歳を少し過ぎた農家の主人が住んでおりました。彼は当時、信仰厚い村人たちと、お伊勢参りの旅路につきました。その旅の涙なくしてはきけない話をのせることにいたしました。

 

 江戸時代末期といえば、村の古老にすら忘れ去られているのが実情ですが、現在、下田原の路傍(ろぼう)の草むらに「久太郎さん、参宮記念の祠(ほこら)」を探訪いたしました。地元の人も稲荷さまと思っているようで、その祠の由来については知る人もありませんでした。

 

 

 

 日本全国どこの鎮守の森や村はずれをみても伊勢参宮の碑がどこかに見られるものです。江戸時代中期以後は一般庶民の伊勢信仰が盛んだったといわれます。なにしろ当地からでは伊勢まで往復数百里、徒歩による旅路がいかに難儀(なんぎ)であったことを物語っております。

 

  お伊勢参りとは

 

 現在の三重県伊勢市にある、伊勢神宮をお参りすること、皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮)を祀り、おいせさんと呼ばれている。

(つづく)

 

 

昭和56年(1981)7月20日 第138号掲載

山田川シリーズ(25) 伊勢路にねむる久太郎さん(2)

密興寺のものといわれる釈迦如来坐像(現存)

 下田原の門前に住む久太郎さんは、村でも働き者の一人でした。安政年間(1854〜60)、例年にない豊作となったので、お伊勢参りの話もすすみ、秋の取り入れに精を出しておりました。当時の農業は、水稲(すいとう)の品種改良や農具も進んでいなかったので、取り入れは11月の霜のふるころまでかかりました。それでも久太郎さんは出発準備の一つとして、夜なべ仕事にわらじを作り、35足を準備したそうです。

 

 秋の取り入れも終わり、いよいよ出発前夜は親せき、近所の人たちが集まり盛大な振舞をし、翌朝の出発姿は草鞋で作った人形姿だったと伝わっています。はきものひとつをとっても、当時の旅路が容易でなかったことがわかります。

 

 下田原の門前とは

 

 康平年間(1058〜64)に藤原宗円が宇都宮に築城のとき、城の鬼門よけのため、下田原に密興寺を創立し薬師仏を安置したと伝えられ、田原小学校下田原分校跡を中心に坊の内・坊の後・門前などの地名が存続しているわけで、現在もお堂がその名残りをとどめています。

(つづく)

 

昭和56年(1981)8月20日 第139号掲載

山田川シリーズ(26) 伊勢路にねむる久太郎さん(3)

江戸時代の伊勢祈祷大麻ヨコ13cm・タテ35cm厚さ10cm

 下田原のお伊勢まいり一行は、江戸を経て箱根路を通過、東海道を西に向かいました。一行には見るもの聞くものみな珍しいものばかり、初めて見る美しい富士山の姿、海岸にうち寄せる波の力強さ、特に毎日食事に出る新鮮な刺身は、生まれて初めてのことだったでしょう。

 

 いつも元気な久太郎さん、旅の疲れとともにわらじの鼻緒が足にあたってきました。傷の痛さをこらえ、がんばりましたが、休みない道中、痛みはますます激しくなるばかり、お伊勢はまだまだ遠く知らない旅路、一行に遅れることもできません。足をひきずりながらあくまでがんばりました。

 

【江戸時代の社寺参詣】

 

 世の中が平和になると、社寺まいりは盛んとなり、なかでも伊勢神宮・金刀比羅宮・善光寺などは参詣者が特に多く、京都・奈良・四国巡礼などもにぎわったという。

 

 なかでも伊勢皇大神宮は一生に必ず一度は参詣すべきものとされていた。

(つづく)

 

 

昭和56年(1981)9月20日 第140号掲載

山田川シリーズ(27) 伊勢路にねむる久太郎さん(4)

昔の皇大神宮
(神宮司庁発行資料から)

 「久太郎さんがんばって、久太郎さんがんばって、お伊勢はもうすぐ近い」とみんなに励まされましたが、足の痛みはズキン、ズキンと高なるばかり、痛みをこらえにこらえがんばり続けやっとの思いで伊勢にたどり着き、めでたく念願のお参りをすませました。しかし、思わぬ旅の疲れ、足の痛みで熱が上がり、手当てのかいもなく、ついに帰らぬ人となってしまいました。

 

 一行は悲しみのうちにも久太郎さんを当地の無縁墓地にほうむり、形見として久太郎さんの頭髪と爪を袋に納め、京見物の後やがて郷里にたどりつきました。一行の中に、元気で旅立った久太郎さんの姿のないことを初めて知った、おくさんの悲しみはいか程だったでしょうか。

 

 後日、亡き久太郎さんのお伊勢参りを記念し、その霊を弔(とむら)うべくして建てられたものが、現存する路傍(ろぼう)の祠(ほこら)であります。誌上をおかりして久太郎さんの霊をなぐさめたいと思います。

 

昭和56年(1981)10月20日 第141号掲載

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