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白沢宿今昔(15) 元禄乙女の初恋物語(1)

元禄時代の乙女の姿図

 この話は元禄時代(1688〜1704)のものとされています。政治的にも経済的にも安定し、文化も豪華絢爛(けんらん)の時代でした。次の享保(きょうほ)時代へ向う一つの峠ともいわれています。

 

 そのころ白沢宿に、きし江とよぶ美しい乙女が住んでおりました。たまたま日光街道徳次郎宿の西根に江戸から甚九郎という男が移り住み、ときおり白沢宿に呉服の行商にやってまいりきし江と相知り、純粋な愛を燃やす身となりました。

 

 甚九郎は江戸に妻子を残している身ですが、乙女心の純情さ、「惚れて通えば千里も一里」の 諺(ことわざ) 通り白沢から天王原、猿田山峠を越え、横倉を過ぎ徳次郎(とくじら)まで、三里(12km)の道も遠しとせず、足しげく甚九郎の元に通い続けるようになりました。

 

 村人たちは「あれいたずら娘よ」・「不義な娘よ」と噂されましたが、一途に思いつめた恋心は、微動だにしませんでした。

(つづく)

 

昭和58年(1983)3月20日 第158号掲載

白沢宿今昔(16) 元禄乙女の初恋物語(2)

男抱山付近略図

 一途に思いつめた初恋は、通いもままならず、きし江は恋の思いのかずかずを、いくつもの巻紙に書いて、宿の台山に登り、明け六つを期して燃やし、密かに心を慰(なぐさ)めておりました。その煙は西の空になよなよと紫色に立ち昇るばかりでした。

 

 甚九郎は徳次郎(とくじら)宿の男抱山の頂から遙かに望んで、恋心を確かめることができました。

 

 たまたまきし江の家に、出戻りの姉が居て、妹の毎日やっていることを不審に思い、恋文を盗み読んで、巻紙に少し水を注ぎよく燃えないようにしておきました。それとは知らず明くる朝、いつものように巻紙を燃やしたところ、煙は白く立ち上がるばかりでした。

 

 甚九郎は、その白い煙を山頂から眺めきし江の心変わりと考え、荷をまとめ江戸に旅立ってしまいました。

 

 きし江は事の以外におどろき、かけつけましたが、甚九郎の姿はすでになく、白沢宿の方向に白い煙が見えるばかりでした。

(つづく)

 

昭和58年(1983)4月20日 第159号掲載

白沢宿今昔(17) 元禄乙女の初恋物語(3)

元禄年代風俗図、鹿の子しぼり染め

 きし江の乙女心の純情な初恋も、甚九郎の心を動かすには至りませんでした。恋心をいく巻もの巻紙に書いて、明け六つを期して燃し、西の空に紫色の煙を上げ、恋心を慰(なぐさ)めることも白い煙と共に消え失せてしまいました。

 

 甚九郎の心変わりと感じたきし江は、嘆きの余り三日三晩食もとらず、徳次郎(とくじら)はずれの男抱山の頂で、はかない露と消えました。

 

 村人たちはきし江の純情にいたく同情し、山頂に祠(ほこら)を建て、悲恋の乙女をねんごろに弔(とむら)いました。

 

 その後、男抱山頂の社は男抱山神社となり、縁結びの神とされ、娘が秘かに詣でて「かなわぬ想いの相手の方向を望めば、不思議にその恋の想いは届く」と伝えられています。今でもその信仰は絶えないといわれ、この山は下徳次郎、西根の奥の静かな山であります。

 

昭和58年(1983)5月20日 第160号掲載

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