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郷土史話(7) 古里村誕生記(1)

 明治22年(1889)町村制発布に先立ち、現在の大字がそれぞれ一村を形成していたのを数ヵ村合併して新村を作ることになった。

 

 それまで戸長役場が白沢宿にあって、戸長は五月女貞一郎氏で下岡本・中岡本・岡本新田・白沢宿・下ケ橋・長峰新田・芦沼・上田の八ヵ村を管轄(かんかつ)していた。ところが県の指導でこの八ヵ村から芦沼・上田がぬけ、新たに海道新田が加わり七ヵ村で構成されることになって、新村名をつけることになった。

 

 人々が相談した結果、この地区の大部分が旧岡本郷に属していたということで岡本村とし、明治21年(1888)9月21日県へ報告し間もなく知事の許可を受けた。

 

 新岡本村が誕生し、このまままとまっていくかに見えたが、すぐ問題がおきた。海道新田の脱退である。10月29日付で海道新田から川俣村と地所が入り込み入会秣場(まぐさば)もあるので、川俣村と同じ村に編入したいと届け出があった。これは県からも許可がおりた。

 

 また岡本村の村名に対しても不満がでてきた。主に北部の人たちからでていたようである。

 

 村の中央に位置する白沢宿の名をとり白沢町としたい。「白沢には郵便局・高等小学校・出願中の治安裁判所出張所などがあり市街地とかわらないので白沢町といってもおかしくない。」と願いが出されたがこれは許可にならなかったようである。そこで改めて村名を考えようということになった。

 

 岡本村では北部の人たちが承知しない。白沢町では南部の人たちが承知しない。そこで旧村名と関係のない村名がよいということになり、地区の代表が集まって相談することになった。

 

 代表は、白沢宿 永井昇平・加藤善一、下ケ橋村 黒崎茂一郎・郷間伝一郎、中岡本村 釜井貞蔵、下岡本村 五月女誠三郎、岡本新田 平山耕三、長峰新田 菱沼勇三で候補は次の村名である。

 

 睦村、旭村、晃川村、大緑村、古里村、平村、桑園村、滑治村、自治村、喜世村、広丘村、王織村、清総村、総元村の14村名。

郷土史話(8) 古里村誕生記(2)

 さて前号にあげた十四村名から、第一次投票の結果次の五村名が選出された。

 

 睦村、旭村、晃川村、古里村、桑園村であるが決定しなかったので、更に第二次投票によって村名を決定することにした。

 

 投票結果は次の通りである。

 

 睦村 0、旭村 1、晃川村 1、古里村 3、桑園村 3

 

 このように古里村・桑園村が各3票と同数であった。このあとは決戦投票でなく話し合いで決定したようである。

 

 古い村勢一覧に村名由来として、「古来本地方を卯の花の咲く里と呼びしことの口碑によりて命名したものなると伝う」とあるが、このような理由をもって、「こさと」を「ふるさと」と読むことにして古里村の村名が決定されたようである。

 

 明治21年(1888)11月3日に戸長に申請し、戸長から11月5日付きで河内郡長川村伝蔵あてに上申し、間もなく許可された。

 

  ここに正式に古里村が誕生したのである。この時の古里村の戸数と人口は下のとおりである。

 

 さて明治22年(1889)4月村選挙権保持者による村会議員の選考が行われ、12人の議員が誕生し、5月30日に第一回の村会が開かれた。

 

 ついで31日議員の選考により村長、助役が、6月27日には収入役がそれぞれ選出された。当選者は次のとおりである。

村長   田中庸義 旧村名 人 口 戸 数
助役   粂井代吉 中岡本村 809 114
収入役   岡本幹夫 下岡本村 717 113
    岡本新田 233 40
    白沢宿 851 133
    長峰新田 116 13
    下ヶ橋村 594 69
    3320 482

 ここには古里村の基礎ができて、昭和30年(1955)まで続いたのである。

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