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路傍の神々(49) 叶谷の聖徳太子立像

 風光る頃となり、静から動へ移る季節、田原西小学校から北へ約1kmの辺りに叶谷(かのうや)の里があります。叶谷公民館の西方、針葉樹の小高い山の麓(ふもと)に、遠目からもわかる白い石仏があります。今回はこの聖徳太子立像を訪ねます。

 

 聖徳太子(574〜622〔推古30〕)は、旧1万円札の肖像画で親しまれています。

 

 用明天皇の皇子で、593年に推古天皇の摂政となり、日本古代国家成立期の政治家で、仏教興隆に力を尽しました。

 

 603年 冠位十二階制定

 604年 十七条憲法制定

 607年 小野妹子を遣隋使として派遣

 615年 三経義疏(さんぎょうぎしょ)成立

 

などが、太子の業績として伝えられています。

 

 聖徳太子信仰は、太子の死後高まり、特に鎌倉時代以後は各地に木像などが多く作られました。

 

 

 

 江戸時代になると、講も結成される様により、いずれも大工、左官、畳屋、建具屋、鍛冶(かじ)屋、樵(きこり)、木挽(こび)きなどの職人集団が、年2回程度集まり、手間賃の協定や打ち合わせなどをしました。

 

 世界遺産に選ばれた法隆寺が、世界最古の木造建築であることも、太子信仰の職人集団の結びつきが考えられます。

 

 叶谷の聖徳太子立像は、髪を美豆羅(みずら)に結い、右手に柄香炉(えこうろ)、左手に数珠を持っています。

 

 聖徳太子十六歳孝養像で、台座に、

 

「明治□子年、□八月」

「叶谷郷 世話人 五名(略)」

 

とあり、明治の子年は9年、21年、33年でいずれかの年です。

 

 石仏自体、いたみはひどいですが、聖徳太子の人柄のような堂々としている姿を見ながら、恵みの雨が降っていました。

 

平成9年(1997)4月20日 第327号掲載

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