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岡本あれこれ(4) 岡本にあった古い地名(1)

太閤検地(御縄)帳

 現在の下岡本には、次のような珍しい地名があります。

 

 (1)番匠内 (2)きせち内 (3)木工内 (4)たたみ内 (5)はりたけ内 (6)たいち内 (7)さるがく内 (8)江波内の八ヶ所です。この地名は(8)を除いて、太閤検地帳にのっています。(8)の地名は、現在の地籍図にのっています。ここで注目したいのは、どの地名にも内の字が付いていることです。地名の発音は(1)バンジジ (2)キセジジ (3)ムクジジ (4)タダミジ (5)ハンダグジ (6)タイジジ (7)サルガクジ (8)エナミウチ等と、方言的な訛(なまり)や、発音で呼ばれているために、事情を知らない方には、何と言われたのかわからないような地名となっています。また、現在の地籍図を見ると、松の木内・向内・こうし内などと、内の付く地名がこの外にも見かけられます。

 

 

 地名を調べるための資料として、良く使用されるものに太閤(たいこう)検地帳があります。岡本の検地帳は、下岡本の五月女哲郎家に保存されています。それによりますと、上・中・下の3つの岡本村地内には、60ヶ所の内の付く地名がありました。こんなに多数の内の付く地名を持つ村が他所にもあるなしにかかわらず、面白そうなので何か特殊(とくしゅ)な理由があるに違いないと思い調べてみることにしました。

 

昭和63年(1988)12月20日 第227号掲載

岡本あれこれ(5) 岡本にあった古い地名(2)

 60ヶ所の内のつく地名を、地目別に整理してみると、別表のようになります。

 

 この表からもわかるように、内のつく地名は、岡本郷中に分散していました。

 

 一般に、地名に内のつく場所は、次のような場所に多かったと学者は説明しています。

 

(1)アイヌ語の川という意味のナイ(内)にあてた地名(後にウチと読むようになった)

 

(2)鎌倉時代以降の武士の屋敷地内を垣根(かきね)や濠などで仕切り、その内側を垣内と呼んだことから、地名に内の字がつけられた。

 

(3)鎌倉時代以降の開墾(かいこん)地や開発予定地の垣の内側の地名にも内の字がつけられた。

 

(4)鎌倉時代以降の豪族は多数の武士を家来とし、家来たちはそれぞれ濠をめぐらしたり、土堤や垣根をつくったりして屋敷を構えた集落をつくったが、その屋敷の地名を、何々内と呼んだ。

 

 岡本の場合は、岡本刑部館遺跡(おかもとぎょうぶやかたいせき)や岡本城跡等もあるので(4)の説に該当しそうな感じもしますが、内のつく地名の集合については、今のところ定説はないようです。

 

平成元年(1989)1月20日 第228号掲載

内のつく地名集計表

  検地帳(上) 検地帳(下)
耕作地 15 8 23
住居地 17 20 37
32 28 60

(注)
検地帳(上)は現在の中岡本、白沢南部。
検地帳(下)は下岡本

岡本あれこれ(6) 岡本にあった古い地名(3)

お堂と五月女氏宅

 現地の調査等も行ってみました。しかし環濠(かんごう)と称するほどに条件の整っている屋敷は見当りませんでしたが、現在も○○内という地名に住居を構え屋敷は、きちんとした四角形で広さも4a〜2ha前後に達するかと見えるほどの面積があり、ほとんど敷地の南南東〜南南西方向の隅に観音堂・不動堂・薬師堂などの、お堂があります。

 

 外観・構造・仏像なども古く立派です。屋敷も広く、旧家の性格を持ったものと考えられます。

 

 

 河内町で行われた小字調査によると、内の付く地名は、中岡本に7ヶ所、下岡本に11ヶ所残っています。このなかで太閤(たいこう)検地の時代から地名が現在まで伝えられているのは中岡本に4ヶ所、下岡本に7ヶ所の計11ヶ所です。

 

 地形や面積が一様でないことは前にも書きましたが、門と母屋の関係、お堂の位置などには、類型的な配置や様式などもあるように感じられました。近世には「郷例」と称する地域的な住居の慣習などもあり、興味の尽きない問題でもあります。

 

平成元年(1989)2月20日 第229号掲載

岡本あれこれ(7) 岡本にあった古い地名(4)

かまねい内の風景

 2ヶ所の地名について書いておくことにします。それは寺又・寺又内、かまねい・かまねい内という地名です。すでに、垣内(かきうち)・垣外(かきげ)の話をしましたが、右の2ヶ所ずつの地名のうち、各々内のつかない方が垣の外の地名であることは、すでにおわかりだろうと思います。ところが太閤(たいこう)検地帳には、一例をあげれば、きせち内という地名はあっても、きせちという地名は載(の)っていません。

 

 

 そのほかはりたけ内なども同じで、その理由はよくわかりません。実際にはいくつかの理由もあるのでしょう。一例として考えられることは、内のつく地内に居住している主人の所有地が垣外まで地続きであり、その土地が所有者にとって極めて重要であるような場合、その地内を他人に使用させなかったため地名だけが残った。あるいは垣内の近所は居住条件がよいために、その付近に住む人たちが増加するにつれて、垣外の地名も垣内の地名と同じ呼び方で通じるようになってしまった。その他にも地名の意味がはっきりすれば、もっと適切な理由があるのかも知れません。

 

平成元年(1989)3月20日 第230号掲載

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