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岡本あれこれ(34) 御岳教敬神碑

敬神碑・弘盛霊神

 申内(ざるうち)の池田良市氏宅、東側入口の途中に「敬神碑・弘盛霊神」と彫られた高さ3m、幅80cmの石碑が建てられています。

 

 木曽御岳山(きそおんたけさん)を霊山とする御岳教の信者の敬神碑です。

 

 木曽御岳山は、標高3063mで長野・岐阜の両県にまたがり、北アルプスの南端にある美しい活火山で、南北に並ぶ数個の噴火口跡が見られます。頂上には御岳神社があり、下山応助という人が御岳講を結集して、御岳教をつくり、その教団は教派神道十三派の一つになりました。

 

 

 此の町の大字で面積、人口共に最大だったと思われる下岡本の人達が、仏教から神道へ宗旨変えをしたのが、明治4年(1871)9月25日で、五月女貞一郎氏が先導となり、名刹桑島山金剛定寺から、下岡本の壇家一統と共に神道へ宗旨変えを行ないました。おそらく当時は排仏毀釈(はいぶつきしゃく)の時代でもあり、案外スムーズに事が進んだのでしょう。此の時、池田盛守氏と藤井嘉平氏が、神主として共に宗旨変更のために働いたのです。石碑は、裏側に刻まれた37名の方々の浄財や協力によって建立されたものです。

 

平成3年(1991)6月20日 第257号掲載

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