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白沢宿今昔(36) 明治天皇と唐傘天井(1)

明治天皇お休みの高砂屋

 白沢宿で、今に残るめずらしいものの一つに高砂屋のからかさ天井があります。高砂屋は江戸時代からの旧家で、上岡本村の代理庄屋などもやったことがある家柄で、旅籠屋(はたごや)を経営しておりました。建物二階に、等身大の高砂の翁(おきな)・媼(おうな)の彫刻を飾っておいたので、高砂屋とよばれていたと言われています。しかしこの建物は明治38年(1905)の白沢宿の大火で焼失してしまいましたが、明治初期、裏庭に建てられた土蔵は焼失をまぬかれ、現在もそのままになっており、唐傘天井はこの二階の二部屋の天井に各一基ずつ飾りつけられてあります。

 

 明治初期、東北本線がまだ開通していなかった明治9年(1876)春、東北地方御視察のため白沢宿を、お通りになった明治天皇は脇本陣だった福田家にお休みになりましたが、明治14年(1881)春、北海道御視察の途中、再び白沢宿をお通りになった時は、先にお休みになった脇本陣はすでになく、高砂屋が立派なお座敷と良質な井戸水と言うことで、天皇のお休み場所となられました。

 

 

 

高砂

 

 世阿弥作の神物。住吉の松と高砂の松が夫婦であるという伝説を素材とし、天下泰平を祝福する。婚礼などの祝賀の小謡に常用する。

 

高砂の松

 

 兵庫県高砂市高砂神社境内にある黒松と赤松が自然に合着した相生の松。

 

翁←→褞としをとった男、としをとった女。

(つづく)

 

昭和59年(1984)12月20日 第179号掲載

白沢宿今昔(37) 明治天皇と唐傘天井(2)

高砂屋のからかさ天井

 明治天皇は河内町内(古里地区)に数多くの足跡を残されております。その一つに岡本駅前に明治天皇駐蹕之碑(ちゅうひつのひ)が建てられてあります。明治9年(1876)東北地方、明治14年(1881)北海道地方を御視察の折、再度にわたり白沢宿にお休みになっており、明治25年(1892)、明治42年(1909)の2回、当地方における陸軍特別大演習の際、親しく軍を御統監されました。

 

 さて、話は白沢宿高砂屋にもどりますが、明治14年春、天皇は馬で御通りになった折、高砂屋の奥座敷に、お休みになりました。二階の二部屋には共に風雅な直径6尺(182cm)大のからかさ型の天井になっております。一方には秋の七草、一方には富士と三保の松原が描かれ、そよ風が吹くとからかさは自然にまわるようになっており、宿泊した旅人をなぐさめるようになっております。天皇はこのめずらしいからかさ天井を、御覧になったことでありましょう。

 

昭和60年(1985)1月20日 第180号掲載

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