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白沢宿今昔(41) 渡しと川どめ

わすれられた西鬼怒川渡し跡

 「川向こうには、嫁や婿(むこ)には行くな。親の死に目に会えぬ。」

 

 洪水などにより何日も川止めがつづくと対岸との行き来は勿論(もちろん)、音信不通になってしまうからである。現在では信じがたい事実である。

 

 明治30年(1897)2月に東北本線が開通すると、岡本駅-宝積寺駅間の汽車を利用するようになった。人によっては鬼怒川の鉄橋を、汽車の通らぬ時間を見計らって渡る冒険話もあった。

 

 大正4年(1914)3月、国道四号線、鬼怒川橋の開通によってこれらの問題も一応解消した。

 

 

 

 江戸時代における、鬼怒川の出水期には、川止めが2・3日〜数日にも及ぶこともあったという。奥州街道を通行する旅人は、両岸の宿場にあふれ旅籠(はたご)は満員となり、疲れをいやす人達は、日暮れになるとめし屋などに走り、小唄も聞こえ、ことのほかにぎわったそうです。

 

 江戸に上る奥州仙台藩の伊達家のお姫さまや、お付の女達は西鬼怒の渡しを越すと、白沢宿上の仙台屋の二階の座敷にお休みになり、渡し場をふり返り、ほっとしたと言われている。

 

昭和60年(1985)5月20日 第184号掲載

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