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路傍の神々(40) 田中の牛頭観世音塔

 夏の日射しを避けて朝涼の中、国道四号線を越えて田中自治会を訪ねました。

 

 公民館から東へ向かい、赤い屋根のお堂があります。この周辺の石仏群の中から、今回は牛頭観世音塔を訪ねます。

 

 さて、牛と私たちの関係は古く、弥生時代の登呂遺跡(静岡県静岡市)から骨が発掘され、奈良時代には運搬や農耕、乳牛として飼育されたことが文献に見られます。

 

 牛乳は当時から薬として用いられ「蘇(そ)」、「生蘇(なまそ)」と呼ばれ、現在のチーズやヨーグルトの様なものとして貴族階級などで食されていました。

 

 交通手段としての牛車、軍事用として火牛や牛追物などに利用されました。

 

 牛の利用は西日本が中心で、東日本ではあまり普及しませんでした。江戸時代の中頃から次第に農耕用を中心として普及し、昭和40年代頃までは見ることが出来ましたが、いつしか姿を消しました。

 

 

 

 この牛頭観世音塔は、正面に「牛頭観世音」右側に、「昭和十五年一月吉日 岡本氏」、台座裏側に「昭和六十三年一月吉日移転」と、刻まれています。

 

 昭和15年(1940)の1月に近所の岡本さんによって建立されましたが、昭和63年(1988)に何かの事情で現在の所に移転しました。

 

 各地に馬頭観音は多くありますが、牛頭観音は珍しく、牛の飼育普及と伴に建立されました。馬頭観音の変化したものとされています。

 

 農業の機械化、土地改良事業の推進など、農村の風景も大きく変化しています。この様な石仏から過ぎし日の農村風景を思い出すことが出来ると思いました。

 

 石造 高さ63cm

 

平成8年(1996)7月20日 第318号掲載

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