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白沢宿今昔(1) 白髭大明神(1)

白髭神社

 白沢宿中央に、鳥居がありここが白髭神社の入口になっている。100mほど行くと石段があります。この参道は太平洋戦争終戦まで馬車の通行が禁止となっており、鳥居の前を通る人がここで拝礼する姿をよく見かけました。石段も元は大谷石であったが、昭和36年(1961)コンクリートに改築され、この83段を上りつめた所に社殿がある。

 

 祭神は猿田彦命で、「ひげ」という漢字は3字用いられた。

 

「髭」口の上のひげ・うわひげ

「鬚」あごひげ

「髯」ほおのひげ

 

 

 「白ひげ神社」と呼ぶ社は県内に4社あり、そのうち当社と同じ白髭と書くのは小山市桑絹町に1社あり、他の2社は白鬚となっている。

 

 神社名に白・高のつく社名が多いのは、祭神が古代朝鮮と何らかの関係があるという説もある。

 

 筆者は昨年韓国に旅し、水原市にある古代資料館を見学したが、農機具・織機・住宅・生活様式等古代日本と類似し、深い関係のあることをまのあたりに知ることができた。

(つづく)

 

昭和57年(1982)1月20日 第144号掲載

白沢宿今昔(2) 白髭大明神(2)

白髭神社の「のぼりばた」

 白髭神社の創建については、明らかではありませんが、「栃木県神社誌」によると「口碑に曰く、当神社の創立は第73代堀河天皇の御宇、寛治年間(1087〜94)、近江国白髭神社御分霊を遷座し奉り、当地の鎮守となしたるものという。一説には慶長元年(1596)ともいう」とあります。寛治年間は平安時代中期で、後三年の役の終った頃です。

 

 その後慶長年間(1596〜1614)は、豊臣政権の崩壊・関ヶ原合戦・江戸幕府の開設などがありました。

 

 このころ白沢宿の開設・九郷半用水の開削など発展 著 (いちじる)しい時代でした。

 

 いずれにしても、戦乱の世が続き人心も落ちつかず、多くの人々が働く気力まで失ったことを見た郷土の先人がこれを憂(うれ)い神徳によって人心の親和を祈り、産業の発展を誓い、開拓の祖・猿田彦命を祀(まつ)ったようです。

(つづく)

 

昭和57年(1982)2月20日 第145号掲載

白沢宿今昔(3) 白髭大明神(3)

さくら咲く白髭神社

 白髭神社の創建された場所については、現在地とは異なり、白沢宿のはずれにある西鬼怒川橋の北方数100mの堤防沿いの小字「宮ノ前」と呼ばれる付近にありました。江戸時代には数多くの杉の大木がうっそうと茂り、九郷半橋からでも社の森を拝むことができたといわれています。

 

 しかし、鬼怒川に近く年々水害にあい、境内が崩れ壊される危険にあったためやむなく明治17年(1884)6月、現在地に遷座(せんざ)しました。その後大正3年(1914)7月に須賀神社を合祀(ごうし)しました。

 

 毎年、秋の例大祭に社頭にかかげられる「白髭大明神」の幟旗(のぼりばた)は墨痕(ぼっこん)も鮮(あざ)やかに「弘化二季乙巳九月吉日 霞外穂拝 白沢駅氏子中」〔弘化2年(1845)で、小山霞外の筆になります〕

 

と墨書され、当社の古さを物語っています。

 

 白沢の地名について「白髭さまのある沢」を略したものとする説もあるので、後でふれてみることにしましょう。

(つづく)

 

昭和57年(1982)3月20日 第146号掲載

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