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白沢宿今昔(77) 自由教育のころ(1)

現在の白沢小学校

 白沢小学校が自由教育研究と、その成果について発表したのは、大正14年(1925)10月です。筆者も同校在学中で、校長住宅も自宅に近く、自由教育の内容について、子どもなりに耳にしました。

 

 当時、小学校の自由教育研究の旗上げをしたのは、千葉師範(しはん)(千葉大学教育学部)付属小学校・奈良女子高等師範(奈良女子大学)付属小学校と純農村で尋常・高等科併せて9学級の白沢尋常高等小学校の3校といわれています。当時の小学校教育研究の推進校は、師範学校の付属小学校が中心で、白沢尋常高等小学校の研究と発表については教育界で驚ろきとされています。

 

 

 当時の白沢小学校は現在地にあり、通学区域も今とほぼ同じ。児童は男女とも和服姿が多く、下駄(げた)ばき。学用品入れは肩掛カバンか風呂敷を使用していました。

 

 時の校長、高橋田麿先生は塩谷郡旧大宮村田所の出身で身長6尺(1.82m)に近く堂々とした体の人でした。首席訓導(現在の教頭にあたる)仲山啓吉先生は、南那須町月次の出身、小柄で温厚(おんこう)な人で絵画が得意でした。

(つづく)

 

昭和63年(1988)5月20日 第220号掲載

白沢宿今昔(78) 自由教育のころ(2)

自由教育時代の門柱

 大正12年(1923)から行われた白沢小学校の自由教育研究は、教育界の関心をよび、どのような内容であるのかと、毎日県内外の教育者たちが訪れるようになりました。「白沢の峯にカラスの鳴かない日はあっても、自由教育研究について、白沢小学校に見学者が訪れない日はない。」といわれるようになりました。

 

 日曜日でも当番の先生を訪ね、教育内外の環境を見学する程でした。近くは自転車で、遠方は東北本線を利用し、岡本駅から徒歩で訪ねてきました。

 

 自由教育の先覚者、千葉師範付属小学校主事(現在の校長職)手塚岸衛先生と高橋田麿白沢小学校長先生は、共に塩谷郡大宮村の出身で、同郷の関係上、かげの応援指導があったようです。

 

 白沢小学校の先生たちは毎学期、千葉師範付属小学校の研究会におもむき、自由教育の研究をしました。研究会には早朝暗いうちに、ちょうちんをつけて岡本駅まで徒歩、東北本線より一番で東京へ、それより千葉まで、帰りは下り終列車と日帰りの研究会参加のようでした。また千葉からも指導の先生を時折り招くなど、白沢小学校の自由教育研究は広く世間に知られるようになりました。

(つづく)

 

昭和63年(1988)6月20日 第221号掲載

白沢宿今昔(79) 自由教育のころ(3)

白沢尋常・高等小学校のころの門標

 小学生時代、自由教育を受けた者の一人として、当時を振りかえり私なりにまとめてみると、自由教育のねらいは、今まで教師中心であった教育を、児童本位に考えるようになり、教えこむ教育から児童の自発的な学習を育てようという考え方に発展させ、各々の伸びられる力を発揮させようとするもののようである。児童ひとりひとりの持ち味を大切にし、伸ばす個性重視の教育であった。

 

 具体的内容としては、個人差に応じた学習指導、一例としてどの児童も差別なく指名し、質問の内容などで、まただれもが何かの係に所属する等。

 

 自習時間の設置 児童が各々の学習内容の進度に応じ教科内容を選ぶなどの時間。

 

 自治会の組織 現在の児童会のようなもの、各級・全校単位。

 

 全校同一テスト 3年以上参加、各学年の読み方(国語)と算術(算数)の基礎問題について出題、高学年の問題までできる児童、また低学年の問題でもできない児童など評価する。

 

 学習時間を大切に 授業開始の鐘(かね)と共に各児童は座席につき学習を始め、教師とのあいさつは黙礼(もくれい)にとどめるなど。

 

 つづり方教室の重視

(つづく)

 

昭和63年(1988)7月20日 第222号掲載

白沢宿今昔(80) 自由教育のころ(4)

自由教育のころの白沢小学校つづり方集
(県立博物館蔵)

 自由教育のころ、白沢小学校に思わぬ贈りものがありました。それは青い目をしたアメリカ人形でした。全校あげて歓迎会が開かれました。当時の小学生のつづり方を紹介します。

 

 「アメリカ人形を迎えて」

 

 遠い遠い国のおじょうさま、あの青い広い太平洋をはるばると、汽船にのせられて、この日本の国までいらっしゃった、おじょうさま、みんなでお迎えいたします。どうかお国のつもりでいらっしゃい、決っしてあなたをさびしくはいたしません。私は今日からお姉さん、あなたを愛してあげますわ。ねね……おじょうさま。どうかあの遠いお国にいるお父さん、お母さんを恋しく思わないでください。

 

 いまにサクラがさきますよ、さいたら花見につれて行きます。おじょうさま、どうかサクラのさく、きれいな日本をお国のつもりで、いらっしゃい、お人形さん。

 

 このつづり方は当時の小学生、郷間スミさん・長峰出身の作品です。

 

昭和63年(1988)8月20日 第223号掲載

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