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白沢宿今昔(40) 野猿の渡し

 江戸時代における、白沢・上阿久津間の鬼怒の渡しは奥州街道筋にあたり、大名の参勤交代や旅人の交通のために、かなりのにぎわいでした。特に入梅時期より夏季の増水期にかけて、混雑したようです。しかし、この渡しには特別の名称もなかったようですが、古地図によると白沢岸に「野猿の茶屋」という名がのせてあり、大正時代の頃まで実在し、小屋がけの中で飲み物・果物・菓子などを売っており、渡し場の休憩所となっておりました。ここに野猿式の渡しがあったから、その名がつけられたわけです。

 

 鬼怒川といっても、常に満水に流れているものでなく、大部分は河原で、小石や砂地に雑草の生い茂るところが多く、小高い堤防の上から、本流の上を河原まで数本の太い鉄線を通し、この鉄線に滑車(かっしゃ)をつけ、軽々と流れの上を、荷渡しすることができ、また人が腰をかけられるようにし綱を引くことによって、渡ることもできるような仕組で、現在でも四国の山間の谷川などではこの仕掛けの様子が見られるそうです。

 

昭和60年(1985)4月20日 第183号掲載

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