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白沢宿今昔(56) まぼろしの泉蔵院とその跡地のうつりかわり

享保10年(1725)の白沢屋敷割(宇加地家蔵)町誌より

 江戸時代、白沢宿に二つの寺がありました。一つは明星院、もう一つは泉蔵院とよぶ寺でした。泉蔵院は宇加地家文書によると、享保(きょうほ)10年(1725)の白沢宿屋敷割図にのせてあり、また安永4年(1775)の明細村差出帳控にも泉蔵院の記事が見えます。

 

 これらによると、泉蔵院は現在の白髭神社参道を入った、旧役場跡付近らしく、以前このあたりから石仏の破片なども出土しています。創建等については不明です。

 

 

 江戸時代末期には、すでに焼失して荒れ果て再建されませんでした。また泉蔵院周辺の広場は、参勤交代用の馬繋(うまつな)ぎ場となり、馬場とよばれ、明治23年(1890)、ここに木造二階建ての白沢小学校が建てられ「学校馬場」とよばれていました。大正10年(1921)小学校は現在地に移転、大正15年(1926)古里村役場、その後田原村との合併により河内村役場、町役場、中央公民館となり現在は空地です。

 

昭和61年(1986)8月20日 第199号掲載

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