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路傍の神々(27) 台岡本の勝善神

 町指定文化財史跡岡本城周辺には、地割遺構の中に歴史の一端を見ることができます。

 

 台岡本自治会が、今年4月から人口増加に伴って1区・2区・3区となったのも、新しい歴史の1ページでしょう。

 

 さて、主要地方道、宇都宮・河内線の台岡本の坂を登り詰めた付近に、台岡本公民館があります。

 

 公民館南側の道を少し東へ入ると、今回訪ねる台岡本の勝善神があります。

 

 勝善神は蒼前神・馬力神とも呼ばれ、仏教系の馬頭観音と同じで神道系の呼び方をいいます。栃木・茨城県から東北地方に及ぶ信仰圏を持っています。

 

 栃木県内では、矢板市玉田に鎮座する生駒神社は通称勝善様と呼ばれ県内一円には、玉田講などの代参講が結成されています。

 

 勝善神は江戸時代後期頃から造立され、明治・大正時代に最盛期を迎えます。

 

 

 台岡本の勝善神は坂の上に立っていることから、この坂を上り下りする時に馬が大変難渋したことから造立されたと考えられます。

 

 町内でも、坂に関わる勝善神は白沢南や和久(わぐ)にあります。

 

 この勝善神の銘文は、右から

 

「明治九年四月吉日」

「世話人 作□」

「勝善神」

「中岡本村 小森吉平」

「世話人 薹坪中」

 

 明治9年(1876)4月吉日に、世話人を中心として造立されました。

 

 最近は、動物に対して愛玩することに終始していますが、昔の人は特に日常生活の中で、家族同様に牛馬を大切にしていたと思います。

 

 石造 高さ135cm

 

平成7年(1995)6月20日 第305号掲載

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