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白沢宿今昔(5) 天正の昔のはなし

上岡本庄屋の古文書

 平安時代の頃は、現在の下岡本・中岡本よりさらに白沢あたりまでを「岡本郷」と呼んでいたようで、その後上岡本・中岡本・下岡本となり、当時の上岡本は現在の白沢南付近にあたり、上岡本の中に白沢と呼ぶ地名があったようです。

 

 江戸時代になり宿場が開かれるようになり、白沢(現在の白沢甲部)と上岡本(現在の白沢南)が合村したようです。

 

 安土・桃山時代の天正年間(1573〜92)の様子を、上岡本庄屋古文書によれば、

 

「古くは奥州往還の宿場の道筋が、はっきりと定まっていない天正年中、宇都宮弥三郎様の頃、岡本の内字、白沢南町並に西町と申す谷津にて、御伝馬次送割元役、源六郎相務御領主よりきまりなど、御口達にて岡本館掛り岡本讃岐様より申し渡され、当町組、名子人馬役、鬼怒川瀬渡などの、御荷物運役などいたし、氏家・阿久津・下ヶ橋などへ、次送……」(文訳)白沢宿のできる前の記録の一部を紹介しましたが、むずかしい用語もあり、紙上がたりませんので略させていただきます。

 

 

昭和57年(1982)5月20日 第148号掲載

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