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路傍の神々(62) 西下ケ橋の高龗神社

 秋の実りに向けて、田圃(たんぼ)に活気が戻ってきました。風にゆれる早苗に生命の息吹を感じます。

 

 農村の自然環境を重視し、二十一世紀に向けた土地改良整備事業が進む、河内東部土地改良の西下ケ橋(さげはし)地区、今回は上河内町の芦沼境にある高龗(※お)(たかお)神社を訪ねます。

 

 私たちの住む日本は「豊葦原(とよあしはら)、瑞穂(みずほ)の国」と呼ばれ、みずみずしい稲穂のある国で、古くから稲作を中心とする農耕民族です。その起源は縄文時代中期に求められることが発掘調査などで、理解できます。

 

 高龗(※お)神は雨を司る龍神(りゅうじん)としての信仰があり、高は山や峰などの神が坐す所を指し、龗(※お)は雨を司る神とされています。

 

 

 

 

 この地方は鬼怒川を中心に、西鬼怒川、九郷半川、谷川などが流れています。

 

 毎年繰り返される洪水は、昭和31年(1956)に五十里ダムが完成するまで続きましたが、洪水のもたらす肥沃(ひよく)な土は豊かな実りも約束してくれました。

 

 西下ケ橋の高龗(※お)神社の歴史について詳しいことは今後の研究に委(ゆだ)ねる所は大きいと思います。

 

 境内にある灯籠(とうろう)や手洗石(ちょうずいし)を見ると、社殿に向って右側にある灯籠は「明和九年壬辰二月吉日」(1772)、左側にある灯籠は「安永三年六月吉日」(1774)、参道の途中にある手洗石「文久元年十一年」(1861)で、江戸時代中期以前には、この神社が存在していたと思われます。

 

 農業の様子が大きく変化していく時、高龗神はどんな思いで見ているでしょう。

 

 私たちは自然に対する畏敬(いけい)の念を忘れず、共生することを、昔の人に教えられました。

 

平成10年(1998)5月20日 第340号掲載

※お

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