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山田川シリーズ(28) 越白のお林

渡辺氏蔵(下組)

 下田原、山田川西岸の流域百余町歩(約100ha)の山林は江戸時代宇都宮藩のもので通称「越白の御林」と呼ばれていました。

 

 地元の渡辺康之助さんの話によると、旧下田原村上下両組は、この管理に物心両面で非常な負担をおわされたと伝えられています。

 

 この地に繁茂(はんも)した樹木は古文書から推測すると「あかまつ林」で、当時の管理は厳しくたとえ風折れ木でも、藩の御林係の許可を得て高いお金を納めてから、処分を許されたものだそうです。その事例をあげると元治二丑年(1865)3月に松の風折れ、76本の伐採(ばっさい)の許可に金1両2分を納めた根伐証文が渡辺家に保存されています。

 

 

 

 当時、一人を雇うには給料が年間1両2分前後であることからすれば、非常に高価なものであったことがわかります。したがって数万本の立木が予想された御林は藩の財政上、重要な財源の一つであったと思われます。

 

 江戸時代、幕府や諸藩は直轄(ちょっかつ)の山林を育成し、ご用立ての木材として所によっては管理も厳しく、「木一本、首一つ」といわれる程でした。

 

 

昭和56年(1981)11月20日 第142号掲載

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