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白沢南(しらさわみなみ)自治会

白沢南自治会は江戸時代に築造された奥州街道第一番目の宿場白沢宿の南部分にあります。

白沢南は昔上岡本村でしたが、江戸時代の初めに白沢村と上岡本村が合併して白沢宿が出来ました。
これは江戸時代約10キロ毎に作られた馬継ぎ駅としての白沢駅をつくるために白沢宿が出来たものです。
白沢の次は氏家の宿になります。

約800年前、鎌倉幕府の役人が奥州に赴任するため大塚から白沢の台地に登る坂の途中で一緒に来た子供が病気で亡くなり亡がらを今の白沢南自治会に葬りました。
子供が亡くなった所を稚児坂、葬った所を稚児墓として今も地名が残っています。
白沢南自治会ではそこに地蔵堂を建てて800年の間供養を続けています。
自治会の念仏講の皆さんにより毎月24日に念仏供養が行われています。
特に正月と8月は縁日として賑い、人形供養も同時に行なわれます。

白沢地蔵堂の境内には首のないお地蔵さんがあります、これは明治の初め政府の命令で首を切り落としたものです。
お地蔵さんの首は今も無く悲しい歴史を物語っています。

徳川家康は会津の上杉を攻めるために白沢南の丸山に砦を作りました。

白沢南自治会には外にない珍しい物があります。
それは江戸時代からの公衆便所です。
建物は何度か建て替えておりますが江戸時代の広重が描いた公衆トイレと同じ形の物 が今も自治会の中央に残っています。

白沢南には彫刻屋台があります。
5年毎に曳きだされ今年がその年に当たります。

宿内の建物は現代風に変わっておりますが道形は江戸時代に作られたカギ形の地形がそっくり残っております。
江戸時代におおいに賑わった白沢の宿場の面影を大事に残して潤いのある町にしたいものです。

地域情報紙かわち 第6号
(平成20年3月21日発行)より

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