白沢小学校の自由教育
今から約百年前の大正時代に、まるで時代を先取りしたような自由教育が白沢小学校で行われていたことについて紹介します。
白沢小は明治六年(一八七三)に今の明星院の本堂を校舎にして始まりました。
一昨年で創立百五十年を迎え、現在の校舎は五代目です。
では大正時代に行われた白沢小学校の自由教育とはどんなものだったのでしょうか。
当時の校長だった高橋田麿先生は、創立八十周年記念の文集の中で、
「大正十二年秋、白沢小学校において自由教育を栃木県ではじめて実施して、本県初等教育界に大きな波紋を巻き起こしました。
この自由教育は当時千葉県師範学校附属小学校の主事をしていた同郷(塩谷町大宮)の先輩手塚岸衛氏の研究唱導(しょうどう)したものです。
その頃の学校教育はすべて教師中心の劃一的注入の教育でありました。
それを打破して児童中心の自由な自己活動の教育にあらためたものです。
言い換えれば児童が自らの力で実験し解決しながら学ぶという教育でした。
子どもも先生も皆真剣で学校中が生き生きとし活気がみなぎっていました。
(途中略)
大正十四年十月研究会を開くことになりました。
集まる者、県下の教育者六百人。
実に盛大な研究会で白沢小学校未曾有の出来ごとでした」(抜粋。原文のまま)
と記されています。
また、毎日のように全国から見学者が訪れ、岡本駅からの道路は歩行者が絶えなかったとも言われています。
しかし、この自由教育は注目を浴びる一方で規範的自由を履き違えているとの批判も多くありました。
昭和に入ると次第に自由教育は変わりながらも、その基本にあった「自発的学習態度」を育成しながら継承され、県内に広まっていったとのことです。
大正時代に自由教育を受けた親に育てられ、その後も代々こうした伝統を受け継ぎ、地域の子どもたちは素晴らしい環境の中で伸び伸びと学んでいます。
白沢町 永井光二
地域情報紙かわち 第90号
(令和7年4月発行)より