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かわちまちたんけん

大志白遺跡群(おおしじろいせきぐん)「前編」

 

宇都宮市の中心部から北に広がる「宇都宮丘陵きゅうりょう」は、約50万年前にできた自然の段丘で、昔から人々のくらしに大きな役割を果たしてきました。

この丘陵の一角、山田川沿いの下田原地域では、大志白遺跡や姥ケ入うばがいり遺跡など八か所の遺跡が集まって発見され、「大志白遺跡群」と呼ばれています。

 

この遺跡群は、旧石器時代から江戸時代まで、いくつもの時代の人々の生活のあとがかさなって残る「複合遺跡」です。

旧石器時代(約5万年前)には、尾根の平らな場所で人々がキャンプをして、狩りをしながらくらしていまし

た。

約2万5千年前には、新しい人々が谷のくぼ地に住み、石器をつくっていたこともわかっています。

このとき出土した黒曜石こくようせきは、遠く信州しんしゅうから運ばれてきたと考えられ、当時の交流や流通のようすもうかがえます。

 

参考引用

  大志白遺跡群発掘調査既報

  大志白遺跡群見学のしおり(1998年)

  下野新聞(1999年)

  河内町宅地造成事業等遺跡調査

 

  
 

◀栃木県で出土した最古の土偶(バイオリン型)

 縄文時代早期

 

地域情報紙かわち 第91号

(令和7年7月発行)より

大志白遺跡群(おおしじろいせきぐん)「後編」

 

縄文時代になると、人々は住居を建てて定住生活を始めました。

食べ物を保存するための貯蔵穴(ちょぞうけつ)が80個以上見つかっていますが、家のあとが見つかっていないことから、保存専用の場所だったようです。

さらに、古墳時代から奈良・平安時代にかけては、村のような集落ができ、土師器(はじき)須恵器(すえき)などの土器が使われていました。

この時代には、鉄をつくる「鍛冶遺構(かじいこう)」も発見されていて、この丘陵(きゅうりょう)で鉄づくりが行われていたこともわかっています。

 

江戸時代には、古代に水場として使われていた場所の近くに墓地がつくられ、そこから寛永通宝(かんえいつうほう)などの古銭(こせん)が出土しました。

人々はこの場所で、長い間いのちをつなぎ、くらしを続けていたのです。

 

現在、遺跡群の発掘調査はすでに終わり、この場所は太陽光発電の施設として使われており、立ち入りはできませんが、「大志白遺跡群」は、宇都宮丘陵の長い歴史と人々のくらしを今に伝える、大切な地域の宝なのです。

 

参考引用

 大志白遺跡群発掘調査既報(きほう)

 大志白遺跡群見学のしおり(1998年)

 下野新聞(1999年)

 河内町宅地造成事業等(たくちぞうせいじぎょうとう)遺跡調査

 

◀発掘調査風景

 

地域情報紙かわち 第92号

(令和7年10月発行)より

宝井西自治会 中里 雅代

 

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