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23.岡本城跡

南北朝時代に宇都宮氏の北方の守りとして岡本(おかもと)信濃守富高(しなののかみとみたか)が築城したと伝えられる平山城。

 

宇都宮市との合併後3回発掘調査を実施し、15~16世紀の二の堀や本丸を確認。

 

台岡本自治会、根古屋自治会は当時の城下町で上町(うわまち)・中町(なかまち)・下町(したまち)・馬場の地名が残っています。

きらりん清掃

岡本北小学校の児童は、岡本城の歴史を学ぶと共に、地元住民の保存会の皆さんと共に「きらりん清掃」を行っています。

中岡本根古屋の台にあり、鬼怒川の河岸段丘を利用した平山場城で南北朝時代に岡本信濃守富高が築城したといわれ、宇都宮氏の支城として宇都宮の東部の守りについていたが、慶長2年(1597)宇都宮氏滅亡とともに廃城になった。

 

現在、本丸は土塁濠などよく保存され往時を偲ばせている。

 

(鎌倉末期から南北朝時代の芳賀系図であるが芳賀高久の二男富高が岡本を領し岡本氏を名のったという

 

[昭和45年4月1日 市指定]

宇都宮文化財マップより

岡本城跡は、南北朝時代に宇都宮氏の北方の守りとして「岡本信濃守富高(おかもとしなのかみとみたか)」が築城したと伝えられる平山城。

 

1597年に「宇都宮国綱(うつのみやくにつな)」の改易に伴って廃城となった。

 

本丸跡は、東西に約88メートル、南北約65メートル。

 

現在は深さ3メートルの空堀と土塁が残る。

 

史跡の指定は、1970年の旧河内町時代。

 

宇都宮市との合併後3回発掘調査を実施、15~16世紀のものとされる二の堀や本丸を確認。

 

現在、地元住民による保存整備がなされている。

 

 

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